FM愛媛 CAHGE&ASKA 25th Special 2004年12月31日(金)
お友達 “ころちゃん” からの力作聞きお越しです! ころちゃん、ありがとうねぇ(^^)/
【“ころちゃん”からのメッセージ】
2004年12月31日放送 FM愛媛の番組の聞き起こしレポです。番組が伝えようとしてくれたことを再現できるように出来るだけそのままにしていますが、若干削ったりしている部分もあります。本当に長いので申し訳ないですが、特に最後の部分は感動しました。山里剛さんはGOと、和田さんは和田と、敬称を省かせていただいています。
【番組レポート】
年末特別番組「CHAGE&ASKA
25th
Special」
この時間は今年25年を迎え、広島で感動のツアーファイナルを終えたCHAGE&ASKAの足跡を、デビュー当初から心厚く支えてきた音楽プロデューサー山里剛さんをスタジオゲストに迎えてお届けします。インタビュアーは山里さんとはかつてYAMAHAで音楽制作を共にした30年来の旧知の仲、この番組を制作した和田ディレクターです。
和田「彼らと最初に会ったきっかけは何だった?」
GO「そこはね、たまに話すことがあるんだけど、これは面白くてね。ポプコンの本部のディレクターとして九州支部を担当してたのね。その時は長渕に会いに行ったわけよ。長渕と俺とおおやろうぜって話をもう何とかしてやっから。あいつ一回デビューして「雨の嵐山」とかいうえらい歌謡曲なやつでデビューして。不本意なアレンジで不本意な音楽になってビクターで出して、さっぱり売れずに挫折して帰って、もう一回出てきた所を『お前すごいいいわ。俺会いに行くから』っていうんで、会いに行ってるときに心を許してくれたんだろうね、長渕が。『よし、一緒にやろう。山里さん、よろしく。ところで、ちょっと呼ぶから待ってて。おいおいおいお〜い。ちょっと来い』って若いのを呼んだわけよ。そこに二人ひょこひょこひょこっと出てきて『こいつらチャゲ&飛鳥っていうんだよ。俺共々よろしく』って。長渕が俺に紹介してくれた。その時はまだチャゲあすの聞いてなかったんだけどね。いや、振り返ってみれば予備審査の段階かなんかでは聞いてるね。あぁそうなんだぁ、長渕が言うからそれなりにいいんだろうなっていうことで、『じゃぁちゃんと見るから』って。その次の大会かなんかに出てきたところを見事に射止めちゃったわけですね、僕がね」
和田「それまではチャゲあすってのは二人とも別のバンドでやってたんでしょ?」
GO「それ以前はね。そこで九州の担当者の先見の明っていうのかな、秋吉ってやつ。秋牛君?(笑)牛がくっつけたんですよ。その曲はよく覚えてるんだけど、非常にパワフルな歌で生ギター2本でジャガジャガやってんだけど、生ギターのフォークの世界を超えてるわけね。当時のフォークってのは、元々フォークってのはアメリカンフォークから入ってきて、日本の人たち高田渡さんとかあの辺の時代。反戦歌であり労働の中の苦しみであり要するにメッセージソングな訳よ。それがちょっと歌謡曲っぽくなって出てきてバカ売れしたのが拓郎だったわけね。それからフォークがだんだん形を変わってきて、チャゲあすの頃の時代はフォークと呼ばれているものはかなり弱体化、軟弱化してて四畳半+メソメソ+歌謡曲的メロディー手法、アレンジみたいな感じでどっちかっていったらニューミュージックと呼ばれだした頃なんだけど割りと弱っちい演歌にやや近い泣き節だったのよ。声もヘロヘロしてて。でも彼らの歌は違ってた。俺はその頃からずっと基本はブリティッシュロックとかめちゃめちゃロックだった。これはマーシャルを後ろに壁のように並べて、ドカーンと。で、コイツら股両足ガーン広げて、ギターかき鳴らすって言う感じが合うんじゃないかって。エレキギターとアンプの音に負けねぇぞと思ったの。これはいけるな、世の中にないなと思って。こうせつさんとか流行ってたけど、違うスタイルが作れるって明らかに思ったので。だから長渕とは別の角度で。長渕はカントリーだとかアメリカンサウンドの中でいけるんじゃないかっと思ってたんで、(目指す音楽や色が)違うアーティストだったら頭の中ごっちゃにならないし(笑)いいかな〜と思って」
和田「じゃ、長渕が紹介してくれなかったら会えれなかったんだね」
GO「そう。だから長渕さんありがとうございます。本当に(笑)」
和田「これは面白い話だね」
GO「面白いね」
和田「山里剛というのはねスタッフだったけど、元々音楽やってたじゃない。実はフルバンドでトランペット吹いてたというね」
GO「そうそう、ジャズやってたんだよね」
和田「僕が知ってる山里剛ってのはギター弾いてるフォーク系の方かなと思ったんだけど」
GO「違うんですよ。フォークもやるクラッシックギターもやるし色々やってたけど若い頃はジャズバンド、プロですね、一応。やってましたね」
和田「それは知らなかったな」
GO「そこにはすごい人いましたよ。今日本でNo1トロンボーン向井滋春さんとか」
和田「結局それはチャゲあすに限らないけど制作して裏方として世に出すという思いはあった?自分が作って出そうという」
GO「若者の欲望は限りなく。人は願う物がある限り果てしない。俺は若かったし仏様のように彼らのことだけじゃないよね、バカだからね、若い時ってみんな。俺、自分の為だもん。そういう意味で、ものすごく情熱もあるからこそ若い者の音楽っていいんだよ。若いプロデューサーも素敵なんだよ。自分の私利私欲まみれに情熱を絡めて。つばとなって吐き出すときはパッパッパッパ!純粋。ただそれに見合う人でないと。自分が勝手に料理するだけではつまんないでしょ。言うなりの人じゃ。歯ごたえがないと。」
和田「料理人が自分が一番の人じゃないと、食べてわかる人間だと。要するに食べてわかる人?自分が食べること好きで、料理も作るというパターンじゃないと、エンターテーメントじゃないもんね」
GO「料理人は料理する食材との戦いじゃない?それと同じで長渕やチャゲあす、他にもいっぱいやってきたけど、みんなそれはお互い切磋琢磨しあう戦いの場だから」
和田「チャゲあすも出た時、何かのコピー見たら叙情派みたいなの書いてあったんだけど」
GO「俺があの頃で一番気に入ってたコピーはね…。大体ファーストアルバムのキャッチコピーとかラジオスポットとか結構俺一緒に作ってたのよ。大体僕の大げさな感じ良く分かってもらえると思うんだけど「10年後このアルバムは伝説になる」これが一枚目ね。一曲目の「ひとり咲き」のデビューの時は「九州から大型台風上陸」ですよ。で、二回目の時(流恋情歌)はイントロだけ流してね「イントロだけですいません。」って切っちゃったの。「ただ今製作中!」ってね(笑)で、「お待たせしました!」って一週間後に歌から流して。それ聞いて中島みゆきが喜んだ(笑)オールナイトニッポン聞いてて「アホやね〜コイツら」って大喜び。そういうことを俺やりたかった。叙情派じゃなくて。やることなすことパワフルに。だから演歌とも呼ばれた。確かにそういう節回し、言葉回しが入ってるから。であとそれにprogressiveなロックを敢て合わせて付けて行ったんでプログレ演歌っていう風にある評論家は呼んでたね。」
和田「吉見?」
GO「吉見佑子ちゃん!」
和田「今思うとね、さっきの話を続けるけど、一般の方が分かりづらいと思うのはレコーディングの時にプロデューサーっていう人とディレクターっていう人と。でも山里剛の場合は最初っからプロデューサーなんだ、そういう意味では。だってディレクターって言うのはそういう仕事してないじゃない」
GO「ディレクターって言葉は映画界の言葉で、映画監督のことを本来はディレクターって言うわけですよ。音楽の場合はディレクターって言葉は日本独特の言葉で階級だけの問題で、ディレクターが偉くなるとプロデューサーになるんだよ。普通の会社の中でのディレクターは、そうだったのね。ファンハウスって会社はそれはおかしいんでって、アメリカ流・欧米風に全部そういう作業に携わる人はプロデューサです。(聞き取れず)プロデューサーって名刺を持ち始めた時期があったんだけど、俺はその前から言ってたの。日本にはディレクターって言葉が浸透してるけど、おかしいと。アメリカへ持って行って名刺出してディレクターですと言ったら「映画の?」って聞かれるわけよ。だからそれは全部プロデューサーっていう風にしましょうって。ま、和田ちゃんが言ってるのはその仕事のポジション・スタンス・ぶつかり具合・対峙の仕方っていう意味だと思うんだけど。僕はプロデューサーって言葉が正解だと思うし。だから相手のうまなりで(?)アーティストが作っていただいたものをハイハイってそうですか〜、アレンジされたものをアレンジャーにハイありがとうございますっていうのを形を整えてレコーディングしていく仕事がディレクターではなくて、それは寝てても進んでいくわけですよ。そうじゃなくてその中によりよいものを自分のものを投入していってぶつけていく。即ち、弁証法的な発展をですね!分かりますか?弁証法!」
和田:笑ってます
GO「ここにテーゼ【These】があります。これがアーティストが持ち寄ったものだとする。それだけでもいいんだよ。でもそこにアンチテーゼ【Antithese】として自分の何かSomethingを情熱をアイディアをそこにぶつけていく。アンチテーゼってのは世の中に絶対必要なんですよ。そこで一緒になる、合流することをアウフヘーベン【Aufheben】って言うんですよ。そうして出来上がったものが一つの別のカルチャーになっていく。今までみんなそうじゃない?アフリカから来たリズムに白人の物があってロックンロールが生まれたり、ジャズが生まれたり、クラッシックと融合してプログレが生まれたり。みんなそうでしょ。そういう事が全ての文化の基本だと思ってるんで、それが単位がグーッと下がってレコーディングのたった一時間、二時間、一日の間でもそれが成されてないといけない、と今でも思ってる」
和田「正しい!それがなければ何も生まれない」
GO「そうなんだよね」
和田「生まれることってのはそういう事だから」
GO「そうなんだよね。まぁ、天才もいるから(笑)放っといても物を作る人もいますけどね(笑)」
和田「結局キャッチコピーじゃないけどトータルで見れないと難しいよね。小間使いじゃないんだから。アーティストが言ったものってのはそのアーティストの中から出るもんで、それを客観的に見なきゃいけない訳じゃないですか。どういう市場に求めているかとか。ただプロデューサーってのはレコード会社をも把握できるような状況な訳だから。どういう形で売って、どういう形で伝えて行くかっていう。そういう事だよね」
GO「この作った音楽の出口、行き先、音楽の歩き様ってのは見届けたいからね。」
和田「そう、どうなってんだろうって。それが今はシステム分からないけど、それはやっぱり基本な事だと思うし、それによって今の話の中で良く分かったのは、その中でチャゲあすはそういう風に歩いてきてるし。彼ら自身もそういう事分かってるわけですよ。で、思うのは彼らの動きは非常にこう僕はずっと支援してるけど、応援じゃないの、支援してるけど、持ってるから、自分で。やりたいこときちと分かってる二人だから、それは非常に見えてくる。で、色々んな葛藤しながら時にはお互いソロになってやったりとか、そうしながらまた一緒にやろうとかね。常にそこにはチャゲあすってのはちゃんとベースにある。俺、それがね、すごく分かりやすい。全く別のもんじゃない。ASKAがソロをやろうとCHAGEがソロをやろうと一緒なんです。CHAGE&ASKAがあった上での形が非常にきれいに見えてた。やっぱり僕はそこには彼らの意思もちゃんと出てるし。僕らが放送局として出す時もきちんとそれは分かってて、彼らとたまに話するとすごくよく分かる。発言がしっかり分かる、見える、言葉が見えてくるから、あっこれはそうなんだなと。やっぱりレコード会社の方々がよくプロモーションするけど、やっぱり分からない所があるんだわ、それは。それは逆に違う観点でやると分からないから。直接話するとね良く分かるから。実は僕達は意外とよその局とは違うかもしれないけど直接的な話をするようなことをするチャンスを出来るだけ設けてもらって。そうすると、あぁ見えてくるなぁってのがあって」
GO「それはあなたの人徳でしょう。普通はそうでもない筈だよ。真面目な音楽ジャーナリズムの人達は、放送局の人達もそう思ってやりたがってるけど、なかなかそうは出来ないから。この前もASKAと会って話してたら『是非よろしく!』と」
和田「元気だった?」
GO「ここのシーズン、本人達がFMとかの稼動で回るような状態じゃなかったんで、代わりに俺が行ってくるよって話しで来ました。『よろしく!和田さんによろしくお伝えください』という事で」
和田「面白いのは、例えば山里剛ちゃんがずっとやってて、私は放送局の仕事に行って。でもそこに20年近い流れがあるけど何も変わっていないんだもん、話すると」
GO「うんうん、そうだね」
和田「すっごい事だよね。昨日おぉ元気?っていう感じが何なんだろう?」
GO「でも幾分話題がおっさんの同窓会みたいな話題だけど、それはそれでいいよね」
和田「話し切り替えるけど、YAMAHAがどうこうとは思わないけどそこのある思想があって音楽シーンを作って本当に崇高なアマチュアリズムがあって、そこに僕達が引き寄せられてそして多くの音楽が生まれて多くの音楽スタッフが生まれて。でも何も変わっていない。ずーっとそういう精神を受け継いでいるから。それは感謝なんですよ。その集まる場所を集まる場所を作っていただいた事に」
GO「大いなるアマチュアリズムと言うか。川上源一さんの感性はとてつもないよね。あの人がいたお陰で僕らはいると思うよ。僕らはいい過去を持ってるよ」
和田「ねぇ、互いにミュージシャンであってアレンジの仕事もしてたというね」
GO「一曲500円でアレンジしたり。凄かったですけどね。でもいい音楽を作り、子供を作り」
和田「子供は誰でも作れると思うんだけど」
GO「音楽って意味にしましょうかね。いい子供が世の中にいっぱい出て行ってますからね」
和田「本当だよね」
GO「嬉しい限りで」
和田「これから新たな年に迎える訳だけれどもCHAGE&ASKA達が作ってきたものってのは、もうすごくドーッとあるんですよ。こないだ久しぶりにアルバム最初から全部聴いた。なぜ聴いたかというと確認したかった訳。やっぱりいいわ。剛ちゃんがプロデュースやってる初期の頃、力強さがあって、もう勢いがすごいんですよ。で、だんだん大人になってきて「SAY
YES」の頃のバラード系のものがあったけど、でもそっからガーンと波がどんどんどんどん、波乗りしてる感じ。それを肌で感じる。アルバムごとにドラマがあるんだ。「流恋情歌」が僕は最初だったからそこから聴いて、あれがすごく印象に残ってるんだけど。ポプコンの時から見てるから」
GO「ポプコンの最初は「流恋情歌」だったからね。その後に「ひとり咲き」が来て、デビューが「ひとり咲き」だったという」
和田「僕ら的には「流恋情歌」なんですよ。いつも思うんだけどチャゲあすのアルバムを最初から聴いていて思うのは、メロディーもいいんだけどアレンジね。音の作りが毎回発見がある。一つ音の加え方とかアレンジャーの起用とか、progressiveという言い方でくくっちゃうとちょっと変かもしれないけど毎回全然違うんだよ。アメリカ的じゃないのよ。すごいclassicalな物がどっかにあるの。それはやっぱり剛ちゃんがそういうことやったから?」
GO「そうです。その辺は僕の自我ぶつけてるんで、随分迷惑をかけたかなと(笑)好きな様にやりやがって、て」
和田「すごいclassicalだよ」
GO「だから製作会議では怒られたね、デビューアルバムの時に。そんなに会社的には期待はされてなかったようなんだけれども。とねぎっていう宣伝マンに制作会議、宣伝会議かな?お披露目する会議で『「ひとり咲き」だの「流恋情歌」だの言って元気のいい若者だと思ってたけどこんなにすごいアルバムを作ったとは信じられない。これはどういうことよ』と。非常に嬉しかったね。俺もアルバムとしては初めて作ったアルバムだから。思い入れがあるのよ、だから俺。やりたいことに。だって針を落として一分半?二分?知らないけど歌が一向に出てこないでずっとインストでしょ。overtureっての付けて。ロックで始まっていて。やっと一曲目にそれが繋がっていくという。Conceptualな。」
和田「PINK
FLOYDかと思った」
GO「そうそうそう。コンセプトアルバム。だからマザーオブインベンションとかPINK
FLOYDとかそういうの好きだったの。しかも作る作業がアメリカではないなと思ったんで。ブリティッシュロックをベースに置いてそこに摩訶不思議な漢字だらけの日本の言葉と情念みたいなのが混ざりこんでる得体の知れないパワフルなもの作ってやろうと思った。だから他にも歌が出てこない場面が「草原の静」だとか「水面の静」だとかインストが一分程のが挟み込んであるでしょ」
和田「そこでイメージを膨らますんだ」
GO「あの頃のアルバムは45分程か。45分程かけたロック交響詩のようなものを言葉世界を合わせて作りたかったのね。それが一枚目の「風舞」と二枚目の「熱風」は全くそのまま行ってるかんじ。そこからどんどん変わりはするんだけど。だからコンセプトを立てながら音楽は考えていくものだし、バランスを配合していって曲順も考えるべきだし、間の何秒で音が出るってのも非常に絶妙に重要なことなんだっていう事を、最初からチャゲあす達とは膝付き合わせて練りながら作っていったっていうのが、その後色んなものを別の世界からの異文化、いい音楽っていうかそれを融合させて音楽って作っていくものだ。考えてみりゃ何でもありだなと。上手くまとめていけばいいんだと。いうことを彼らは最初から持ってくれたと僕は思うんだ。なのでその後の変遷も、今また変わりつつある変遷も全てがスムーズに流れる能力を持っているんじゃないかと。世の中の流行・廃りだけに合わせてるって事はおそらく一回もないと思う。」
和田「そう」
和田「聴き直して欲しいんだけど、極端な言い方をすると映画を見てるみたいなんだよ。まるでどっかの国の歴史を辿って。砂漠がありね、湖がありね、海がありね、で、空撮してるような状況があったりと。そんな風にイメージ浮かべたわけ。最初の頃はそう思って聞かなかったの。音楽として聴いたんだけど。その後また今聴いたらね音楽じゃない聴き方が出来るわけ。そういう意味ではASKAにしてもCHAGEにしても違う分野を開いている訳じゃないですか。たとえば写真撮ったりとか色んなことやったりとか。そいう事に繋がって行ってるなと思ったわけですよ」
GO「そうだね。映画で始まる映画で終わるコンサートを作ってみようっていう流れとかね。流れの作り方絶妙に巧いからね。普通はね、他のアーティスト達は舞台監督・音楽監督・ミュージシャン・アレンジャーあたりが全部ああいうの作っていく訳なんだけれども、チャゲあすのコンサートに関してはほとんど本人達で曲順とか繋ぎ方とか、ここにワンクッション他のを入れようとかそういう繋ぎのアイディア、ここに一回別の調に飛んどこうとかいうショック。今回のステージにしてもとっても面白いでしょ?一曲目二曲目辺りでやってるものが最後の所でテーマになって絡み合って出てきて。「ripple
ring」が最後の方にまたRepliesで出てきて。ああいう構成方法はまさに一枚目のアルバムそのままですよ。そのもの」
和田「そう思った。まさにアルバム一枚聴いてる感じの、ライブアルバムっていうか、そんな感じだったの。これは楽しかったし、感動したの。この前の広島、最後は泣いてる人いっぱいいたの。分かる気がする。感動しちゃうもん。壮大な宇宙のテーマがあってめぐり合うっていう。それを彼がメッセージを最後に何度も何度も繰り返してASKAが言うんだけれども、もう惹き入れ込んでしまうから。コンサート、音楽じゃない喋っててももうそこが感動で音楽の一つになってるの。ギターの音も鳴ってない。彼が喋ってる、何分か。それが全て重なっているんですよ」
GO「素晴らしいですね。Spiritualですよね。だから今年のチャゲあすの仕事が本当に自分の歴史に残る一年だったなと。そんなリリースがたくさんあった訳じゃないんだけども。「僕はMusic」をリリースできるまでに至る。このツアーがこんな形で終われる。絶好調の声で終わった。疲れ果ててない。今から始まるような声で終わった。これはびっくりした、俺。だから人と人との出会いとか、生きていく上の音楽者として、生きる時の音楽の作り方、考え方の投入の仕方そういう物が「心に花の咲く方へ」と「僕はMusic」その詞の中に脈々と入っててね。で、改めて人との出会いとかまた再会もあるしそういった事をものすごく真剣に彼らは考えてる。本当に大事にしてる。これ思ったね。俺、もう一回花道、ものすごい大っきなん作りたいなと」
和田「いや〜作りたいね。見たいね」
GO「ちょっと一緒に手伝ってよ」
和田「やりたい!見たい!そういう衝動に駆られたもん。久々。で、本当に最初があるんだなと思ったわけ。やっぱり最初ってのはものすごい大事」
GO「まぁ本当にいい大人になりました。彼らは」
和田「彼らにとって大事なことは「今」なんですよ」
GO「そうだね」
和田「だから来年のASKAなりCHAGEなりの動きってのは、また新たなチャゲあす見れますよ。すっごい楽しみなんだ」
GO「本当に来年以降楽しみですよ」
GO&和田「ありがとうございます。良いお年を」 |